国語の真似び(まねび) 受験と授業の国語の学習方法 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

近代詩への道 短歌でも俳句でも漢詩でもない西洋詩が日本にやってくる!「新体詩抄」の誕生と、鴎外、藤村。翻訳詩まで。

近代短歌シリーズとともに説明していきたいのが、近代詩です。明治に入り、西洋からの輸入の形で生まれる詩はどのようにして「詩」となっていくのでしょうか。

文学史シリーズが活気づいております。なぜかというと、授業でやったからです。できれば、このまま授業案を指導案にはならないまでも、ここに公開していきたいと思います。

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 というわけで、最初のこのシリーズ、ふたつに道が分かれました。「近代短歌への道」と「近代詩への道」。

近代短歌は、平安時代の和歌の時代があるわけですから、「再生」。近代になって短歌がもう一度受け入れられる必要があるんです。 

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 それに対して、「近代詩」は「誕生」。だって、今までないものを、西洋で見たものをまねよう、というのが近代詩ですから。

というわけで、近代詩の流れを追っていきましょう!

 

漢詩でも、短歌でも、俳句でもない「詩」の登場~新体詩「新体詩抄」

明治になって、日本は西洋と出会います。

この段階で日本で「詩」といえば、それは漢詩。ある意味では和歌以上に、日本に根付いていたのが漢詩です。実際、和歌自体は、平安時代の隆盛のあとは、せいぜい連歌として入り込み、連歌ということはつまり、俳句として存在しているということですから、いわゆる平安時代のような和歌は、あまり目にしていません。

江戸時代には、川柳や狂歌などもありますから、五・七調、七・五調の調べは当然根付いているとはいえますが、そういったものを入れるにしても、漢詩と俳句・和歌といったあたりが日本の「詩」です。

そうしたときに、西洋にいった人たちが、「詩」をみつけてくるわけです。これまで、日本では「詩」といえば「漢詩」。日本のものは「歌」ですね。

だから、「詩でない詩」を見つけたわけです。というわけで、「新体詩」。新しい形式の詩、ということです。

これがまとめられたのが、「新体詩抄」です。


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見ての通り、和綴じの本で、いかにも古めかしい本。

   鎌倉の大仏に詣でゝ感あり
今をさることかぞふれハ 六百年の其むかし
建長のころ鎌倉に 稲多野局が建られし
総青銅の大仏ハ 御身のたけハ五丈にて
相好いとゞ円満し 見者無厭の尊容ハ
何れの地にも此類なし さるに明応四年とや
由井のつなみの難により 大殿破壊の其後ハ
紫磨金仙も雨に濡れ 風に暴されたまふこと
殆ど此に四百年 こハこれ人に聞くところ
(後略)

こんな感じです。ほとんど、鎌倉遠足の作文で、しかもかくことないからパンフレットうつしました…みたいな感じ。これを詩と呼ぶのかどうか。タイトルからして「鎌倉の大仏に参詣して思うこと」みたいなことですから。

翻訳だと、

   シャール、ドレアン氏春の詩  尚今居士
春の景色のゝどけさを いかで好まぬ人あらん
冬ハ物事さぴしきも 春ハ心のをのづから
とけて楽み限りなし 雪もみぞれにふる雨も
人をなやますことぞなき のどけき春の来る時ハ
(後略)

原作がどうなっているかはわかりませんが、とても詩の言葉だとは思えないレベル。最後にシェークスピア。

   シエークスピール氏ハムレツト中の一段 尚今居土
ながらふべきか但し又 ながらふべきに非るか
爰が思案のしどころぞ 運命いかにつたなきも
これに堪ふるが大丈夫か 又さハあらで海よりも
深き遺恨に手向ふて 之を晴らすがものゝふか
どふも心に落ちかぬる 扨も死なんか死ぬるのハ
眠ると同じ眠る間ハ 心痛のみか肉体の
あらゆるうきめ打捨つる 是ぞ望のハてならん
アヽしぬ、ねむる、ねむる時 万が一ゆめみるならバ
ハアこだわりが有るやうぢや なぜと曰ふに死に眠り

もはや、詩でなく戯曲なんですが、結局七五調に落とし込めば、詩なのか、という問題を提起しているわけですね。

でも、これでも、見たことのない新しい詩として、新たなジャンルが切り開かれるわけです。

 

翻訳詩~「於母影」

そうなってくると、まずは模倣、つまり、翻訳詩が登場します。

森鴎外が北村透谷らと発刊した「文学界」がありますが、ここから詩に関していえば、新声社(S・S・S)が「於母影」を発表します。ヨーロッパの詩を、漢詩や和歌のような形にとりこもうという試みです。個人的には「新体詩抄」と比べればまったく詩らしいところに行こうとします。

島崎藤村「若菜集」の登場

こうした中、登場するのが島崎藤村の「若菜集」です。

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若菜集と落梅集。「遂に新しき詩歌の時は来りぬ」と高らかに宣言します。

たとえば、有名な「初恋」は次のようなもの。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたえしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこころなきためいきの
その髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみとぞ
問ひたまふこそこいしけれ

 

 これだけ見ると、古臭いし、近代的な詩の登場なんて理解できないかもしれません。でも、「新体詩抄」と比べたら。あるいは、良くできていても翻訳と比べたら。だいぶ違う形になっていると思いませんか?

短歌でもない、俳句でもない、漢詩でもない、新しい詩ができたわけです。藤村は「若菜集」の序で次のように書きます。

遂に新しき詩歌の時は來りぬ。
そはうつくしき曙のごとくなりき。うらわかき想像は長き眠りより覚めて、民俗の言葉を飾れり。
傳説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新しき色を帯びぬ。
明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壮大と衰頽とを照せり。
新しきうたびとの群の多くは、たゞ穆實(ぼくじつ)なる青年なりき。その藝術は幼稚なりき、不完全なりき。されどまた偽りも飾りもなかりき。青春のいのちはかれらの口脣にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたひしな
り。こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寝食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と煩悶とは幾多の青年をして狂せしめたるを。
われも拙き身を忘れて、この新しきうたびとの聲に和しぬ。
詩歌は静かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。げにわが歌ぞおぞき苦闘の告白なる。

 ちょっとオーバーに聞こえるかもしれませんが、それぐらいの衝撃がこの詩集にはあったんですね。

ちなみにですが、こうした浪漫的な詩を書いた藤村ですが、のちに自然主義の小説へと発表の場をうつします。

 

翻訳詩と象徴詩

この影響を受けていくのが、象徴詩と呼ばれている作品です。

薄田泣菫と蒲原有明を覚えておくといいでしょう。薄田泣菫は「白羊宮」です。古典的な言葉を多く使うのが特徴ですね。蒲原有明は、「独絃哀歌」、「春鳥集」とか「有明集」とかです。四六調で書いていくんですが、象徴詩という形を目指しています。

これが翻訳詩ながらも、大きな影響を与えているのが、上田敏の「海潮音」。

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上田敏の「海潮音」

フランス・ドイツの詩人を翻訳していますが、単なる翻訳ではなく、創作ともいえるレベルで作品を作っていきます。

というわけで、このあたりだとみなさんが期待しているような「詩」からはまだほど遠いかもしれません。

でも、それでも、なかったものが生まれた、というのはすごいことなんですね。

 

みなさんが期待するような詩、つまり、口語自由詩が登場するのは、もう少しあとの話になります。

次回は、一気に有名詩人をまとめていきたいと思います。