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山月記2 李徴はなぜ虎になったか「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」 教科書定番教材シリーズ

山月記の2回目です。 山月記の解説になるかわかりませんが、一緒に勉強しましょう。

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私からの課題は「李徴はなぜ虎になったと思うか」です。

本文から探すことはきっと皆さんならできることでしょう。だから、正確にいうと「李徴が考えた虎になった理由をあなたは認めますか?」ということですね。

今日はその1。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」です。

本文はこちらからどうぞ。

中島敦 山月記

 尊大な羞恥心って何?

まずはそもそも「尊大な羞恥心」って何?ということですよね。

まずは、本文を見ましょう。

 何故なぜこんな運命になったか判らぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようにれば、思い当ることが全然ないでもない。人間であった時、おれは努めて人とのまじわりを避けた。人々は己を倨傲きょごうだ、尊大だといった。実は、それがほとん羞恥心しゅうちしんに近いものであることを、人々は知らなかった。勿論もちろん、曾ての郷党きょうとうの鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはわない。しかし、それは臆病おくびょうな自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間にすることもいさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。おのれたまあらざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦してみがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとしてかわらに伍することも出来なかった。おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもん慙恚ざんいとによって益々ますますおのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ。今思えば、全く、己は、己のっていたわずかばかりの才能を空費して了った訳だ。人生は何事をもさぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句をろうしながら、事実は、才能の不足を暴露ばくろするかも知れないとの卑怯ひきょう危惧きぐと、刻苦をいとう怠惰とが己のすべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。虎と成り果てた今、己はようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸をかれるような悔を感じる。

ずいぶん長い引用になりました。

李徴は、詩人になりたい。そして、自分には詩人の才能があると思っている。プライド=自尊心ですね。だからこそ、そこらにいる連中と一緒に、その才能を磨くなんていうことは、プライドが許さないわけです。

しかし、今となっては、それがプライドだけではないことがわかる。本当に才能を磨いて、それでもなお詩人になれない程度の才能であったとしたら…彼はそれを恐れる。だからこそ、才能を磨くことをしなかった…臆病な自尊心ですね。

そして、それは自分には才能がないということを恐れる羞恥心ともいえる。でも、その羞恥心ゆえに、自分には才能があるようにふるまう…尊大な羞恥心。

だからこそ、彼は「人と交わり」を絶ってしまう。そして、この性情こそが、妻子を傷つけ、友人を傷つけ、己を傷つける…

こんなところでしょうか。

国語の授業で「尊大な羞恥心」はひとつの山場となりますよね。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心…先生によっては、このふたつの違いなんて説明をするケースもあるかもしれません。そのぐらい、山場なんですよね。

私は、「同じでいいんじゃない?要は、自信があるけど自信がない、自信がないけど自信がある。才能がそこらと違うから、一緒にできない。一緒かもしれないといやだから一緒にできない。自信がないから、自信があるかのようにふるまい、自信があるけど心のどこかに自信がない。そういうことがわかればいいよね」という立場です。

虎になった理由として認めますか?

 さて、あなたはこれを李徴が虎になった理由として認めますか?

認めるとしたら、それはなぜですか?

認めないとしたら、それはなぜですか?

「李徴が言ってるから」

だめですよ。李徴はそういっているけど、本当かどうかですから。

いつも授業はディベート風にすすめるんですけど、まさに皆さんにも考えてほしいところです。

認める=賛成の人の意見

認める、という人の場合、たいていは、

「これがすべてのおおもとである」ということ。

やっぱり、この性格ゆえにすべてが始まっているんですよね。人と交わりを絶ち、そして、妻子を傷つける…

この性格がなければ、何も始まらないわけで、だからこそ、これが理由でないわけがない。

そして、なによりこの性格について、なんだか自分のことのように理解しつつ、それでもなお、「普通はここまでしないよね。やっぱり異常だよね。」という感じがするんですよね。

というわけであなたはどうですか?

反対派の意見はどうでしょう?

では、反対派はこれをどのように否定していくのでしょう?いくつかの論点をあげながら討論を進めていきましょう。

問題は性格なのか?それ以外のことなのか?

反対派がせめてくる最初は、ここですね。

「確かに、臆病な自尊心と尊大な羞恥心によって、すべてのことが引き起こされているかもしれない。しかし、それを持っているとしてなぜ、虎になったのかをしっかり考えると、性格ではなく、人と交わりを絶つ、とか、妻子を傷つけるとか、友人を苦しめるとかそういう行動ではないのか」

という点です。

わかりますか?

虎になったのには、何か悪い行いがあった報いなのだ、と考えるとします。

因果応報ですね。

その場合の「原因」は、その性格ゆえに引き起こした行動ではないのか、ということです。たとえば、次の原因である「妻子をかえりみなかった」とかの方が理由としては強い。だから、「妻子をかえりみなかった」ことを理由にしたい生徒はここをせめてきます。

「人と交わりを絶った」から、虎になるならまだわかる。でも、その原因となる性格となると、性格で虎になるのか、と反対派はせめこんでくるわけですね。

性格が虎だとしても、それで虎になるのか?

そうすると、賛成派は、「いやこの自尊心は虎だ」とくるわけです。

性格自体で虎になるのではない、というけど、この性格はみんなとは違う。この自尊心、プライド…そういったものがあって、人と交わりを絶っていく。でも、これは、李徴ならではのことだ。と反撃に転じます。

でも、反対派は、考えます。

「人は誰でも猛獣使いで、その猛獣にあたるのが各人の性情」

李徴はそれが虎。

それは認めてあげてもいい。

でも、だったら、みんなそれなりの猛獣になるのではないか。

ネズミになる人もコウモリになる人も、羊になる人も…

性格が猛獣はわかるけど、人はみな猛獣にならない。それは結局性格ではなくて、行為をともなった結果なのではないか。

とするなら、やはり、性格だけで虎になるのは無理があるのではないか。

さあ、どうしましょう?

「いや、この李徴の虎性格は特殊ではないのか」賛成派はがんばります。やはり、これだけの性格は李徴ならではなのだと。

よくあることではないのか?

本当にそうでしょうか?

プライドを持ちつつ、傷つくのを恐れて逃げてしまう…。

こんな気持ちはみんなあるのだと反対派は主張します。

本当は第一志望にチャレンジしたいけど、それはやめて自分にあう学校はこっちだと思う…

本当はアイドルの女の子が好きだけど、クラスにいる女の子で妥協する(例ですから、あんまり文句言わないでくださいね。)

がんばってプロ野球選手になりたいけど、本当はなりたくないと思ってあきらめる…

人生なんて多かれ少なかれそんなものです。

そんなことは李徴だけの話ではないはずだと、みんな気づき始めます。賛成派だって、わかるからこそ、これが虎になる理由だと思うんですよね。

でも、李徴は実際に行動する。人と交わりを絶ってひたすら詩作にふけるわけですから、やっぱり特殊なのだと、賛成派はがんばります。

「人と交わりを絶った」は本当か?

いやいや、本当ですか?

確かに、人と交わりを絶ってひたすら詩作にふけるわけですが、そこで虎にはなっていない。

李徴はそのあと、「ついに節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになった。一方、これは、おのれの詩業に半ば絶望したためでもある」とくるわけで、人と交わりを絶ったわけではなく、人と交わったあとで虎になるわけです。

賛成派もがんばります。

いや、だからこそ、プライドが傷つくのだと。

だからこそ、プライドの問題なのだと。

そもそもこの性格は虎なのか?

 でも、ここで大きな問題に行き当たります。

プライド=自尊心、なら、虎かもしれない。

自尊心の塊が、一地方官吏に甘んじる。耐えられずに、発狂する。

だから、虎…

わからなくはありません。

でも、戻ってみると、

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」です。

尊大な自尊心。人にはありえないほどの自尊心なら虎っぽい。

でも、臆病な自尊心…。

これが虎?

もぐらとか、アナグマとか、そんなものなら、ともかく…

 

どうも、こんなことで虎にはなりそうにない。

理由として認めるにしても、やはり、妻子のことや詩のことを足さないかぎり、うまく説明できない…

 

というわけで、この説は、説得力が足らないのです。何かを掛け合わせていかないといけないようだということに気づきます。

では、次回に続きます。