国語の真似び(まねび) 現代文・古文・漢文・漢字・作文・小論文…中学受験から大学受験まで。 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

「信頼に応えるってそんなに奇跡?」 走れ!「走れメロス」4最終回~定番教材を楽しく

 ようやくたどりついたメロス

  こうしてメロスはセリヌンティウスのもとに辿り着きました。到着してしまえば、万事解決に向かいます。さて、ここまでをふりかえりましょう。

 単純な男、メロスは、王様の過去や事情など一切考えず、王様を「邪知暴虐」と決め付け、城に乗り込みました。これまた勝手に、親友を人質にすることを決め、妹の結婚式に向かうのでした。いつの間にか、メロスは、王様に「信実」を見せることを目的としはじめ、いくたの困難を乗り越えていきます。濁流の川、山賊…。けれど、自分の心という敵には勝てず、くじけそうになりますが、なんとか、その敵にも打ち勝ち、王様に「信実」を見せつけたのでした。

 こんな感じでしょうか。この「メロス」論のキーは王様の把握にあると書きました。王には、肉親に裏切られた、苦い過去があるわけです。だから、ちょっと残酷な気持ちがないわけではない。さて、その王の最後のセリフは何だったか?本当は、セリヌンティウスを逃がし、メロスを殺しても仕方がありません。そうですよね?メロスは、何の脈略もなく、王に刃を向けたのです。妹の結婚式に出るチャンスを与えたのは、王。残酷な気持ちはあったにせよ。というわけで、実際の王のセリフです。

暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまえらの仲間の一人にしてほしい。」

 王は、なぜ許したのか。王は「信実」を知った。取り戻したというのかもしれませんが。そして、彼はこう言っています。「おまえらの仲間の一人にしてほしい」

 信実が、信頼しあう友情だとすれば、王はこの仲間に入ろうというのです。これは、もっと語られるべき問題点ではないかと思います。

 王は、信頼できる人間が欲しかった。だからといって、メロスの立場で見たとき、彼は王を仲間にできるのか。そして、王は、いつから、「仲間になりたいと思う人間を試す」という視点にすりかわったのか。

 この一言は、とても大きな問題点を導き出している気がします。「メロス」を処刑する展開もあってしかるべきで、その時、メロスが何を考えるかもっと浮き彫りにできる。

 残酷な王が、怒りにふるえるという展開もありそう。「許そう」ならば、それも分かる。「負けた」と王が認める。善行によって救われる。けれども、このラストは、王の心が変わり、しかも、仲間を欲するところに向かうわけです。

いつの間にかみんな同じものを求めていた?

  これはとても奇妙な話です。それぞれの立場がいつの間にか、同じところにまとまった。メロスは、妹の結婚式に行くだけの許しを得たはずが、王を改心させることを目的としている。王は、ちょっと残酷な気持ちでやっただけなのに、心を入れ替えてしまう。いつの間にか、「信じられない」人が「信じられる」物語になる。疑ったセリヌンティウスやあきらめようとしたメロスが、「信じる」物語という意味でも、そうとれるでしょう。

 なぜか皆が同じ立場にたどりつく。不思議な話です。そして、一方で私は思います。そんなに「信実」とは、「空虚な妄想」なのでしょうか。そもそも、「空虚な妄想」だと思う人は多くないのではないか。身代わりにした親友を見捨てる確率が高いと思う人が多いとは思えない。けれども、彼らは、それを「空虚な妄想」と信じるところで共通しているのです。

 そう考えてみると、ちょっとおもしろいことに気付いたりしませんか?

何のためにメロスは走ったのか?裏切るのは当然なのか?

  ついに、ここまでやってきました。何のためにメロスが走ったのか。それは、「信じる」ということのためです。王は、人は「信じられない」という。世の中には、確かに信じられない人もいるし、たまには裏切ることもあるかもしれないけれど、でも、メロスのように、自らの都合で親友を身代わりに差し出した時、そんなにも、人は「裏切る」ものなのか?

 この物語は、どうも、そのことについて「裏切るのが当たり前だ」と思っている特殊な人によって、成立しているのです。それは、もちろん、メロスと王様です。

 メロスは、妹の結婚式のためにもどり、そして、妹婿に、「メロスは偉い男だから誇ってくれ」とかなんとか言っていました。でも、決してこの妹婿は、泣いたり、共感したりしていません。

 本文は、

花婿は揉み手して、てれていた。

だけです。どうも、よくわからなかったらしい。メロスの思いは、やっぱりひとりよがりです。

 そして、王様も、裏切られた男です。もちろん、それは、妹と妹婿に。きっと、王様もひとりよがりだったのかもしれない。

 結局、陰と陽、表と裏、でも、とにかく、「人は裏切る」と信じている二人だったということです。妹と妹婿という、なんだか奇妙な設定を背負いながら。

裏切り、裏切られる人、太宰

  太宰は、若くして心中を図り、相手だけが死んでしまい、自分だけが生き残るというところから、文学活動が始まっています。もちろん、故郷金木での、彼の幼少期を含め、「裏切り」意識、「裏切られ」意識というものが、彼の作品に潜んでいることは、明らかなのでしょう。

 メロス、王、そして、もうひとり、語り手。これらの人が、「人は裏切る」と信じている中で、この物語は動きます。だから、メロスは間に合うに決まっているのです。「信じられない」人が「信じたい」と願う物語なのですから。

 けれど、この物語は、こういう批判をさせる要素を内包しているという意味で、また一段深みのある構造をしています。

 メロスは、素っ裸になりながら、宴席を駆け抜ける。ひとりよがりは、宴席の主人公からすれば、どんなに迷惑なことか。

 もし、もし仮にこれが、メロスの妹の祝宴だったら。

 そこに、裸の男が現われ駆け抜けていたら。

 きっと彼はいうでしょう。

「生かしてはおけぬ」

 大変なことです。

 けれども、メロスは駆け抜ける。ひとりよがりのメロスを「走れ!メロス」と同一化する語り手もいれば、一方で、祝宴をこっそりとしのびこませる語り手もいる。

 「生かしてはおけぬ」とメロスを乗り込ませる語り手もいれば、王の事情をこっそりと書ききる語り手もいる。

 メロスは、素っ裸で、王様から「仲間に入れてくれ」と請われる。けれど、ひとりよがりなメロスは、返事もせず、自分をたたえる大衆に酔っている。

 最後に布を差し出す少女は、まさに、その目も当てられないひとりよがりに、布を差し出しているような気がします。

 「裸の王様」

 この少女は、メロス、王様、語り手と、異常な地点で結びついてしまったひとりよがりな人たちを、客観的に見つめる、そんな役割を果たしているのではないかと思うのです。裸を客観的に見つめるんじゃなくてね。

 そういう意味では語り手も分裂してしまっているんです、というか、それが太宰の魅力ですよね。

 

というわけでいかがだったでしょうか。教科書定番教材シリーズは、実際の自分の授業の展開をもとに、これからも続けていきたいと思います。

では。