このシリーズの2回目です。国語教科書に載っている定番教材の解説です。生徒のみなさんが試験勉強に使うのもあり、若い先生が指導案作りの参考にするのもあり、そして、大人になったみなさんがもう一度読み直すのもありです。太宰の「走れメロス」をきちんと読んでみませんか?
前回はこちら。
メロスって傲慢じゃない?
メロスの傲慢な感じは、あらためていうまでもなく、指摘できることでしょう。中学2年生のころ、授業終わったあとに「だいたい、メロスってさあ‥」みたいな会話をしたことでしょう。
でも、なんとなく、メロスは正義の人なので、結局、ちょっと屁理屈をこねた感じになっちゃうので、とりあえずやめちゃうんだよね。
「だいたいさあ、なんでメロスは勝手にセリヌンティウスを人質にするんだよ。」
その通りですね。でも、まあ、セリヌンティウスも無言でうなずくんだから、まあ、いいか。
なんて納得するわけです。
「だいたいさあ、いきなり結婚式をあげろって言われても、困ると思わない?」
その通りですね。妹のお婿さんはさぞかし困ったことでしょう。メロスの都合で、いきなり「結婚式は明日だと」ってことになるんだもんね。だいぶ、困ると反論しているみたいだし。でも、まあ、めでたいことだし、メロスが自分の目で妹の花嫁姿を焼き付けたいんだろうし、その気持ちも分からないでもないし、まあ、いいか。
なんて納得するわけです。
でもねえ、冷静に考えてみるとどうなんだろう。なんだか、納得できないですよね。実はもっと問題点もあるけど、それはまた後で考えるとして、じゃあ、もうちょっとメロスのことを詰めて考えてみましょう。
有名な故郷までの距離の話
メロスは、結婚式のあと、祝宴に参加します。彼は一眠りし、そして、寝過ごしたかというところで飛び起きます。急げば、まだ間に合うと思っています。
シラクスと故郷までの距離は「十里」。一里は約4キロですから、40キロ、フルマラソンと同じ距離です。また、人間が普通に歩くスピードは、時速4キロとして、つまり、休憩をとらず、もちろん、食事時間もとらずに10時間ということになりますね。
ちなみにうちの学校で、平地20キロ歩く行事は、10時ぐらいに出発で食事休憩入れて、4時ぐらいまではかかりますね。余裕で。
メロスが王城でセリヌンティウスと出会うのが「深夜」。すぐに出発し、急ぎに急いで、彼が故郷に着くのが「午前」、日も高くのぼり、人々はすでに働いている頃だと書かれています。
単純に、深夜という以上、夜11時から午前2時ぐらいまででしょう。設定された「初夏」という季節を考えても午前3時では「未明」に近い。逆にいうと、到着したのは「午前」という書きぶりからしても、午前10時前後ですね。それより後なら「昼」、そして、それより前なら「朝」です。
ということは、メロスはやはり「8時間~11時間」ぐらいかかっているわけです。平地なら、ともかく、野を越え、山を越え、そして休憩時間を考えても、妥当な時間です。夜通し歩くだけでも結構大変な作業ですからね。
「いや、まだ間に合う」って設定は正しい?
ところが、彼が再び王城に向かう時、彼は「薄明」に目を覚ます。朝の4時~6時ぐらいでしょう。そして、日が沈むまでに戻る。夕方の6時として、彼が設定した時間は12時間~14時間ということになります。「南無三寝過ごしたか、いやまだ間に合う」というタイミングに間違いはありません。
でも、でも、でも。急ぎに急いで10時間かかったものを、なんで、そんなぎりぎりに設定したのだろう。もちろん、寝過ごしたといっているけれど、じゃあ、逆に寝過ごさないとして、酒飲んで、酔っ払って、仮眠とったぐらいで、同じスピードで帰れるとふんでいたのか?いや、寝てしまったあと、少し余裕があるじゃないか、と考え直しても、人の命がかかっているときに、なんで、そんな時間設定なのだろう。疲れを考えれば、同じスピードで帰れると判断していること自体が甘いし、そもそもぎりぎりで着こうとしていていいのか。
確かに帰る道中、様々な予想外の出来事が起こるけれど、そもそも、そんな設定が間違っている。せめて、結婚式が終わったら、酒ぐらいは控えて、あるいは夕方から仮眠をとって出発すべきだったのではないか、というごくごく当たり前の事実が浮かびあがります。
彼がとどまっていた言い訳は次の通り。
メロスも、満面に喜色を湛え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。
「しばらく忘れていた」「このままここにいたいと思った」「わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した」といいながら、やっぱり雨はやだな、なんて思ったんでしょう、「愚図愚図とどまっていたかった」そして「未練の情」に集約されていきます。
太宰は、少なくとも、メロスの人間味を描いている。そんなに完璧でない人間を描いている。それは分かります。
でも、こうやって、身勝手さが積み重なってくると、本当にメロスって正義のヒーローなの?普通っていうより、ちょっと勝手すぎやしませんか、という雰囲気が漂い始めるのです。
走り出した「ヒーロー」メロス
ようやく、メロスはスタートしました。本当の意味で走るのは、もう少しあとのことですね。でもメロスは走り出しました。その直後は以下の通り。
私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。
ちょっと待っておくれ。メロスはいつから殺されるために走ることになったんだろう。そもそも捕まって死刑になるはずだったわけで、王の側からすれば当然ですね。だって短剣持って、王を殺しに入ったんですからね。で、その死刑に猶予をもらった。それは「妹に結婚式を挙げさせるため」だったはずです。
だから目的は達成されました。感謝してもいいぐらい。王様ありがとうって。まあ、暴君ですから、素直に感謝はできないかもしれないけどさ。
あとは、「セリヌンティウスのため」に走ればいいんでしょ。
何を考えて、「奸佞邪智を破る」だの、「名誉」だの言い出し始めているのか。「身代わりの友を救うため」と言っているわりには、友へのすまなさや感謝は、少なくともこのスタートにはないんですね。
ここまでに、「偉い男」「メロスほどの男」ということが出ていましたから、繰り返しになりますが、「早く帰ろう」って考えるのは当たり前のことなのではないのでしょうか?「いや、そうは言っても普通は逃げるんだよ」という話であれば、王の言っていることこそが正しいわけで、「逃がした小鳥が帰ってくる」ことが「偉い」と見る価値観、実は王の価値観と、メロスの価値観は重なっているのではないかとさえ思います。
話を戻しましょう。メロスはこうして走り始めました。多少、勘違いしているとはいえ、走っていることには間違いはありません。人間ですから、誰だって殺されたくはない。そんな本音が、モノローグで内心で語られたって罪ではない。そのぐらい許しましょう。ともかくも、メロスは走っているのだから。本当に逃げたら問題ですが、濁流の川だって渡ります。
メロスを誘惑するものはいっぱいあります。川だってそうです。なかなか濁流の川に飛び込めるものではありません。だから、多少、自己顕示欲が強くても、逃げているわけではないのだから許してあげてもいいでしょう。
でも、一方で、メロスは自分の正しさのために走る。いかに勇気を振り絞るテクニックだとしても、「偉い男」になるために走る。それもまたどうも真実なのです。
そして、語り手は、まるで、紙芝居のおじさんのように、ここからそんな正義のヒーロー、メロスに重なっていくのです。
語り口の視点
そうですね。語り口の話をしていませんでした。初期段階、この物語は、明らかに語り手が別にいます。太宰文学の特徴だと思うのですが、東北の語り部のように、語っている文学さながらの語り口。「駆け込み訴へ」なんていうのが、そのさいたるものだと思うのですが、実際に太宰が口頭で語って、書き写させて作品にした、なんて話がありますよね。メロスの場合、このあたりから、語り手が主人公と重なってくるのです。
逆にいえば、語り手は、メロスと重なり、メロスと同一化しているときと、メロスから離れて客観的にみようとしている語り手がいる。
語り手を太宰としてとらえていいなら、太宰はふたつを揺れ動いているとか、意図的に行き来している、ということになりますね。
盗賊は王の手先?
メロスを悪くいう人がいます。でも、あんまり軽はずみに悪くいってはいけません。だって、濁流の川に飛び込むことはできないですよね。だから、冷静に考えれば、あんまり非難してしまうとかわいそう。
でも、メロスならではの特性も当然出てきます。次の困難は、盗賊です。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒を振り挙げた。
さて、本当に山賊は王の差し金なのでしょうか。(もう、私のつっこみには慣れてきたのではないですか。)
メロスが勝手に「王の命令」と言っているのにすぎません。もちろん、山賊が「いのちがほしい」といっているのは事実です。だから、「王の命令」だという可能性を否定はしません。でも、だからといって、王の命令だという決め付けもできないはずですね。
だって山賊ですよ。あなたが山賊や盗賊や強盗にあったとき、「全部あげるから、命だけは助けて」といったとして、助けてくれるんだったら、それはラッキーです。大体メロスは命乞いさえしない。口は封じた方がいいに決まっているのに、高飛車です。
「持ち物全部を置いていけ」「はい、わかりました。後生ですから、命だけはお助けください」
だったら、展開が変わる可能性もあった。
けれど、「持ち物全部を置いていけ」「俺は何も持ってない」とやってしまえば、「では、命を‥」となるのはむしろ普通の展開です。
もしかしたら、王の命令である可能性もありますから、強くは言いません。でも、「本当かどうか分からないこと」を「決め付ける」メロスということは事実。
メロスががんばって勝つのも事実。普通、山賊に簡単に勝てません。だから、あんまりメロスを悪く言ってはいけません。勇者っぽい感じは確かにある。でも、どうも、決め付けがちなメロスの雰囲気はぬぐえません。その「決め付けがち」な感じで、自分の信じる「正義」や「信実」のために、メロスは勇者になっていきます。
そして、この戦いに疲れたメロスはついにへたりこんでしまいます。ついにメロスは、ますます勇者ではない雰囲気が漂い始めます。