国語の真似び(まねび) 現代文・古文・漢文・漢字・作文・小論文…中学受験から大学受験まで。 

中学受験から大学受験までを対象として国語の学習方法を説明します。現代文、古文、漢文、そして小論文や作文、漢字まで楽しく学習しましょう!

小説・物語の読解 実践編 「空中ブランコ乗りのキキ」

前回の物語の話を実際にやってみたいと思います。

扱うのは、中学校1年の教科書に載っていた別役実さんの「空中ブランコ乗りのキキ」です。著作権の関係などがありますから、本文は載せることができませんので、概要でご容赦ください。

空中ブランコ乗りのキキ

  空中ブランコで3回転をしているキキは人気者。けれど、それだけが自分のアイデンティティであることを知っている彼(彼女?実は性別不明)は、いつも不安でいっぱい。いつか誰かが3回転を成功したら、自分の価値がなくなる。というわけで、彼は4回転の実現にチャレンジする。けれど練習でも一度も成功しない。そして、案の上、どこかのだれかが宙返りに成功したといううわさが。一度も成功していないまま、彼は4回転へのチャレンジを決意する。そのキキの前におばあさんが現れ、不思議な薬を渡す。そのチャレンジの前、薬を飲むキキ。そして、4回転は見事成功するが、キキの姿はなくなっている。翌朝、サーカスのテントに大きな白い鳥が一羽とまっていた。

ピエロのロロ

 

 とまあ、こんな話。さて、この話の中で与える課題はたったひとつ。「ピエロのロロとキキの関係を考えなさい。」というもの。ピエロのロロの登場は2回です。

 

「およしよ。」
 練習を見に来たピエロのロロが、キキに言いました。
「四回宙返りなんて無理さ。人間にできることじゃないよ。」
「でも、だれかが、三回宙返りを始めたら、わたしの人気は落ちてしまうよ。」
「いいじゃないか。人気なんて落ちたって死にやしない。ブランコから落ちたら死ぬんだよ。いっそ、ピエロにおなり。ピエロなら、どこからも落ちやしない。」
「人気が落ちるということは、きっと寂しいことだと思うよ。お客さんに拍手してもらえないくらいなら、わたしは死んだほうがいい……。」

 

これが、練習しているキキとのシーン。次は4回転宙返りに挑む直前。

 

夕食が終わると、ほとんど町中の人々がキキのサーカスのテントに集まって来ました。
「おい、およしよ。死んでしまうよ。」
 ピエロのロロがテントの陰で出番を待っているキキに近づいて来てささやきます。

 

 これを読んで、キキとロロの関係を答えてもらうわけです。キーワードは「言葉を映像に置き換える力」です。これを教えたいがゆえに、私はこの文章をとりあげます。一回ここで、二人の関係を考えてもらってから、続きをどうぞ。

 二人の関係は?

 さて、キキとロロの関係は、どんなものでしょう?生徒の多くはこう答えます。

「親友!!」

本当にそう?どうして?

「だってキキのことを心配しているから」

もちろん、こういう答えが返ってくる前提で授業は進められているから、かなり嫌らしい授業だといえなくはないけど、まあ、そういう授業です。

心配していると親友?

「親友だったら心配するよ。」

本当?親友じゃない人が心配していることはないの?

「でも、親友は心配する。」

親友は本当に心配する?本当に本当?いや、心配しているとあのセリフ?

 「言葉を映像にする力」を使うためには、実際に演じてみるとよいですね。役を割り振って、演じてみます。

 キキは命をかけて宙返りをする。ネットはない。練習でも一度も成功していない。でも、挑む。キキは死を覚悟しているかもしれないな。さて、そこで、ロロのセリフ。

「およしよ、死んでしまうよ。」

本当?本当にこれでいいの?

死んじゃうんだよ。「やめろ~!!」とかじゃなく、力づくでとめるわけでもなく、

「およしよ、死んでしまうよ。」

大体、親友って、本当にとめるの?成功しないのに、宙返りをする。私はやだな。だって死んでしまうもの。普通はね。でも、キキはどうだろう?みんな、そう考えるのかな。

「人気が落ちるということは、きっと寂しいことだと思うよ。お客さんに拍手してもらえないくらいなら、わたしは死んだほうがいい……。」

そうだね。キキはそう言っている。だから、一度も成功していない宙返りに挑むわけだ。宙返りはキキのアイデンティティなんだよ。もちろん、本気とは限らない。でも、すごく大事なことは間違いないし、実際に命をかえりみない選択をしているのも事実だ。もし、君がキキの親友だったら、キキの考え方って分かるんじゃないか。

それでも止めるかもしれない。でも、それだったら、もっと強くとめるはずだよね。

もうひとつの可能性もあるよ。キキの気持ちが分かるからこそ、見守ってしまう。命というとすごいけど、でも、それより大事なものを持っていることって人間にはあるんじゃないのかなあ。

肘を壊した野球部のエースが、二度とマウンドに立てないよ、と言われて、それでも試合に出たいなんて話。主人公のチームメイトや恋人はみんなとめるかなあ。すごく仲の良い親友が、「お前の好きにしろ」なんて、涙をこらえていいそうだと思わない?

でもね、ロロは

「およしよ、死んでしまうよ」

そう。ロロは友達じゃない。決してキキのことを考えていない。ただの知り合い、難しくいうと「傍観者」というんだ。

いや、最後に「ささやく」なんて言葉があるところを見ると、悪魔のように誘惑しているのかも。えっ、悪魔?ということは、宙返りに挑むのは正しいことなの?でも「ささやく」って‥。

言葉を映像にしていくこと~深い読みへ

 演劇のようにして矛盾を見つけます。これが「言葉を映像にする力」=「想像力」。 そして、この作業の過程で、キキの宙返りに対する思いも押さえられていくし、きちんと読むということは、本文のテーマにも近づいていきます。

普通の人とは、生きている場所が違うことに思いをはせておかないと、自分に結び付けてしまいます。小説で大事なことは、「自分との違い」を理解することだと思うのです。

とても似ている作業なので、どっちでもいいじゃんと思う人もいるだろうけど、とても違う。自分が相手に歩み寄るのか、自分の範疇で理解してしまうのか。

ここまで来て、キキの選択を評価するレベルにいけると思いますし、おばあさん(薬をキキに渡す役。「このままでは人気は落ちる」と予言し、「一度しかできない」といいながら薬を渡す。さて、悪魔か、天使か。)の役割も評価できると思うのです。

この基本は「舞姫」のような高校生が読む文学作品でさえ適用されないとまずいのですね。